文章は影響を受ける。 性格も影響を受ける ファッションも影響を受ける。
姿形まで影響を受けたら… それは少し恐ろしいけど。
人は影響を受けやすい生き物だそうだ。
僕は自分のことを影響を受けやすい生き物だと認識している、それゆえ、その日その日で変わる文章が行き過ぎないように、他人の文章にならないように、気を付けなくてはならない。
何しろ文章を書く人間は自分の文章が真似られることがとても嫌いだそうな。僕にはわからないがね。
だから、僕は、諸事情と称してブログの更新をしない日がある。
Youtubeに夢中になって休むことだってあるわけだ。
ここで さぼり ではないと自分の考えが主張する。
何故か、それは自分自身の自分に甘い考えが由来しているかもしれない。
僕は他人にも言われるよう自分に超絶甘い。 自分でもわかるがそれを直そうとはしないわけだ。
三つの主張が手を挙げる。
一人目言うの主張はこう言う、 「さぼってるわけじゃない、見極めているのだ、ベストタイミングを。
君は急ぎの時、赤信号を渡ろうとするか? 君なら渡りかねないが、
それはおすすめしないよ、赤信号は人を焦らすための道具なんだからね。
青信号は行っていいよのサインではなく、よく待ったね、偉い偉い。 と言ってもらうため、
赤信号に耐えた君をたたえるサインなんだ、だからこの世は見極めて進む(行動する)人がもっとも必要とされるんだ。」
二人目の主張はこう言う。「ダメなものはだめだ ダメなものはだめなんだ。それをだれが決めたかは知らない、けどね、 いけないことは いけない、 いいことはいい
時に君は良いと許可されたらなんでもするじゃないか。 自分にメリットがあることをする人間を許して、自分にデメリットを与える人間を君が許さないのは何でだい?
君のことをよく理解しているのは、どっちなんだい?
君に一万円を挙げた人間、君の弱さに気づいた人間。 どちらが大切だ? 考えな。」
三人目の主張は二人に押しつぶされる。「あなたが選んでください、決めるのはあなたです。」
そういう。
しかし、こんなに理屈をこねておいしいパンを作ろうが クッキーを作ろうが、
僕は一人目に賛成するより前に、二人目に反論する。
お金は大事だ、 命よりもだ。 俺がもし死んでも命は残らないが、お金は残る。
誰かにお金は回る、 だからお金をくれる人間を下に見てはいけない、お金であろうとそこにはその人が生きていた証が残っているわけだ。 金を与える人間は、自分の価値に気づいている。
自分の価値を知らない人間に人を理解するのは不可能だ。 だから二人目は間違っている。
だから、俺は問答無用でご都合休暇を取る。 やさしさなど知るか、他人の理解など知るか。
けど、自分の身分は知っておけ。
自分はすぐに影響を受けるハルトマン(不屈の男)に違いない。